2017大河 直虎 【次郎法師】
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井伊家当主「直盛」の娘。後に徳川家康の側近として幕府創設に功績があり「徳川四天王」の1人に数えられる「井伊直政」を養子として育て上げ、直政の父、「直親」(直盛の従兄弟)の後を継ぎ井伊家の当主となった「女性」です。正確な出生年月日はわかっていませんが、天文5年(1536)頃とされています。亡くなったのが天正10年(1582)8月26日ですので、40数年の生涯だったと言う事でしょう。
この時代、井伊家は不運が続き、「直親」の父が今川義元への謀反の疑いで自害。「直親」も逃亡。「直親」と婚約していた「直虎」は出家して「次郎法師」と名乗る。
10年ほど後「直親」は故郷井伊谷へ戻ると、当主「直盛」が桶狭間の戦いで戦死、井伊家の家督を継ぐ事になる。しかし今川家家臣の襲撃を受け殺害される。享年28。
この時「直親」の子、虎松(直政)はまだ2歳の幼少であったため、「次郎法師」が還俗して「直虎」と名乗って家督を継ぐ。
天正10年(1582)没。家督を「直政」が継ぎ、井伊家の興隆が始まる。井伊家は譜代大名筆頭として、幕府の中枢で活躍する家柄となる。後の幕末、桜田門外の変で暗殺される「井伊直弼」の名がよく知られています。
平成28年に、「直虎」は女性ではなく、別の男性の可能性を示唆する新たな資料が発見された。それには、今川家家臣関口氏経の息子を井伊次郎と名乗らせ、当主としたと記述がある。ただ、その資料には「直虎」の文字は無いそうです。
執筆者:マリオ