守成は創業より難し 徳川秀忠
投稿日:2016年12月20日 更新日:
初代家康、三代家光の間に隠れて、印象の薄い将軍のようですが、その治世では、厳しい大名統制を行い、福島正則などの多くの外様大名、一族、譜代大名、親子二代で家康に仕えた本多正純まで改易しました。
また、鎖国政策の始まりとなる、外国船の寄港地を(長崎 平戸)に制限するなど、初期の幕府の礎を築いた将軍であったと言えるでしょう。
このように真の徳川幕府は秀忠の時代から始まったと言っても良いかもしれません。
また、戦後の遺骨の調査では、複数の銃創の痕跡が確認されるなど、戦国を生きた武将の姿も見られます。秀忠以降、戦場で傷を受けた経験のある将軍などあり得なかったでしょう。
幕府創業者の家康の偉業もさることながら、その幕府の治世を盤石の物とすること力を注いだ秀忠もなくてはならない存在だったのです。
『守成は創業より難し』 唐の太宗の治世について記した「貞観政要」より。
執筆者:マリオ